Creating Processの成り立ち

帰国生のみが在籍する東京学芸大学附属高校大泉校舎

Creating Processの歴史はここから始まります。塾長三原が帰国生たちと過ごした大泉校舎での8年目、帰国子女教育への国の体制が変わりつつあった頃、偶然、後期の高校2年古文のクラスに、一人の勢いのよい男子生徒がいました。N.Y.で13年暮らしたその生徒にもよくわかる、三原の授業でした。それから、その生徒は古文だけでなく他の授業も熱心に勉強するようになり、高3ではSFCのAO入試を目指せるほどに成績も上がりました。慶應に入りたい一心で三原にAO対策を頼み、担任でもない三原にとっては面倒至極な話でしたが夏休み終盤にも諦めないその熱意にほだされ指導。見事にAOでSFC総合政策に合格しました。

Creating Process創業

KBS

その指導の中で三原は、「慶應ビジネススクール(KBS)」という社会人対象の経営大学院の存在に気づきました。三原は常々、帰国高校生のアイデンティティや学習や進学を支え、また国語や小論で苦労している一般高校生を極少人数で手厚く指導する、帰国子女教育の方法を応用した独自の教室が持ちたいと思っていました。

「ゆとり教育」で学校教育にかげりが見え、大泉校舎も中学との統合に進み始めた98年秋、政府の帰国子女教育助成制度の縮小化を察知した三原は、一念発起してKBSを受験し合格。生徒たちとの辛い別れを越え、翌春、大不況の嵐が吹き荒れる中、41歳で文部教官教諭を辞め、KBSに入学。KBS入試の面接時、青井倫一教授から頂いた「すぐに立ち上げるとよいと思う」の一声に背中を押され、ほぼ同時に教室の立ち上げを考え始めました。

1999年5月25日、現在の北参道に事務所兼教室を設置し、6月19日にオープン。KBSでの厳しいMBA修行と並行しての半年は本当に辛い毎日ではありましたが、その後入会者は増え続け、三原は業務専従のため同年秋にKBSを中退。10ヵ月後、法人としての契約の要から、Creating Processは法人化し、有限会社となりました。その後、三原の先輩や後輩、教職時代の教え子やその兄弟姉妹、そしてCPの出身者達も協力。出身会員が代々講師を志願し、三原は教壇に立つ傍ら、彼ら講師の育成と社会人になるための指導、そして、多くの大学生の社会への船出を支援。次代を担う若者のインキュベータ(孵卵器)としての活動を進めています。

Creating Processの教室

さて今日もコロナ禍にも負けずCreating Processの教室では、生徒と講師の熱心な学びが続いています。

次へ