塾長の経歴

塾長の生育歴

Yukiko Mihara

塾長三原由起子は、1956年に香川県高松市で生まれ、香川大学学芸学部附属高松小学校に入学。2年次中途で宝塚市に転居。私立雲雀ヶ丘学園小学校に転校。6年生進級時に東京に転居し、杉並区立小学校に転校し、区立中学を経て東京都立富士高校に進学しました。
高校では、都立高群制度や進学校の競争主義に疑問を感じて勉学から遠ざかり、部活や文筆活動に勤しみました。国文学を目指し一浪するも第一志望を逃し、1年次から専門が学べる成蹊大学文学部日本文学科に進学。中世説話文学と出会い、少人数制のしっかりした教育環境で充実した学究生活を過ごしました。教育実習で母校富士高校の教壇に立ち、生徒の好反応を得、国公私立全ての教育環境を経験し挫折や進路指導の重要性を知る自分には、教職は天職と悟りました。

学歴と職歴

成蹊大学文学部卒業と同時にお茶の水女子大学大学院人文科学研究科(修士課程)日本文学専攻に進学。修了後、成蹊高校教諭となり2年間勤務。その後、東京学芸大学附属高校に赴任し、翌年、お茶の水女子大学大学院人間文化研究科(博士課程)に再進学。講師業と併行して研究活動を続け、東京外国語大学教務補佐も務めました。博士課程単位取得年に東京都教職採用試験を受験しAA合格。教育現場で生きる覚悟を固めました。

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修了後、お茶大大学院助手の話も頂きながら、全校生徒わずか180名で全員帰国子女の東京学芸大学附属高校大泉校舎の帰国高校生教育現場を選択し、10年間勤務しました。通算17年間の教職生活でした。 どの学校でも、生徒とのとても温かい心の交流があり、お互いに楽しく学ぶことの多い日々でした。多くの生徒や保護者の方々と、現在に至るまで交流が続いています。

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